下ノ廊下 1日目の2(崖編)

覚悟はしていましたが、欅平からの登りのきつさは、やはり相当なものでした。
歩き始めなので努めてゆっくり登っていたのですが、それでも厳しく、「今なら引き返せるかな…」などと弱気なことをチラリと考える始末。
ストックを片方だけ持ってきていたのですが(両方じゃないのは、道の狭い下ノ廊下では邪魔になると思ったため)ここではあまり役に立ちませんでした。


しかし終わりのない道はないもので、30分弱で緩やかな登りになってきました。
「水平歩道分岐」という標識があるので「ここから平らな道になるのか」と思い、ストックを畳んでザックにしまいます。
緩やかな尾根道を登っていくと、15分ほどで送電線鉄塔の下に出て、その数十mほど先に「水平歩道始・終点」という標識がありました。
あっ、水平歩道ってここからだったのね…。


この標識の少し先で、向こうからやってきた登山者(たしか3人くらいのパーティー)と、この日初めてのすれ違いがありました。
特に狭いという箇所でもなかったので普通にすれ違い。
この後も阿曽原に着くまで10回弱くらいすれ違いがありましたが、いずれも特に問題はありませんでした。運がよかった。


水平歩道に入ってからは、狭い箇所や桟道など、通りにくい箇所も随所に出てきましたが、基本的には平らで歩きやすい道なので、快調に飛ばしていきます。
左側は大きく開けていて、対岸の山並みがよく見渡せ、圧倒されるほど。
もちろん、景色がいいのは足下がスッパリ切れ落ちているということなので、手すり代わりに張られているワイヤーを手繰る右手にも力が入ります。


岩肌に穿たれた道
岩肌に穿たれた道


先行していた他の登山者を2組追い抜き(とはいっても私のペースが速いのではなく、休憩しているところを「お先に失礼します」と通過しただけ)、
欅平から2時間ほど歩いたところで、道の脇で休んでいた2人組のおじさんに声をかけられ、しばし情報交換。
おじさんたちは前日に黒部ダムから来て阿曽原に泊まり、これから欅平へ下りるといいます。


「昨日は黒部ダムを結構早くに出たんだけど、阿曽原に着いたのは暗くなってからになっちゃった」
「明日黒部ダムまで行くなら、阿曽原はできるだけ早いうちに出たほうがいいよ」
「小屋の朝食は6時からだから、弁当にしてもらってね」
えー、黒部ダムまでそんなに時間がかかるんですか、大変だなあ。
「まあ、僕たちはあんまり山の経験がないからね。あなたは若いから大丈夫だと思うけど」
いや、若いってほどでもないし、そんなに経験があるわけじゃ…。


程なくして志合谷のトンネルに差しかかります。
ここは冬の雪崩のため道が崩壊を繰り返し、毎年直すくらいならいっそトンネルを掘ってしまえ、ということで長さ150mほどのトンネルができたとのこと。
トンネル内には照明がないため、自前のライトを点けて通る必要があります。
ライトなしだと真っ暗というだけでなく、天井が低いので頭をぶつけないよう気をつけなくてはいけないし、足下には湧水が流れているし、上からも水滴がポタポタ垂れてくるしで、あまり気持ちのいいところではありません。


志合谷から約30分、岩盤を「コ」の字形に大きくえぐった道が眼前に現れました。
頭上に気をつけながら通り抜けると、大太鼓です。
眺望抜群な分、危険箇所だらけの水平歩道の中でも特に危険といわれている場所ですが、サクッと通過したせいか、そこまで危ないとも感じませんでした。


大太鼓付近
大太鼓付近


大太鼓からさらに30分、今度は折尾谷です。
谷を横切る砂防堤のような構造物の中にまたもやトンネルがあり、その中を通っていくのですが、ここはコンクリ造りなので志合谷ほどいやらしくはありません。
とはいえ、増水した時は胸まで水につかることもあるらしいのですが…。


ともかくここも通過して、その少し先にある大きな滝のところで昼食休憩にします。
途中で追い抜いていた2組のパーティーも程なくして追いついてきました。
皆さん、立派な滝を見て「すごいねえ」と感心しています。


折尾ノ大滝
折尾ノ大滝


皆さんはすでに十分な休憩を取っているのか、記念写真や水の補給を済ませると、すぐに出発していきました。
私は20分ほど休んでからようやくザックを背負い直し、今日の宿である阿曽原温泉小屋を目指します。


阿曽原温泉小屋は、水平歩道から標高にして200mほど下に建っています。
なので、当たり前ですが下ることになります。
下りになるのはまだか…と少し焦れてきた頃、途中で長いハシゴが出てきました。
「ここからは水平じゃなくなるようだ…ということはすぐ下りになるのでは」と思い、少し安心。
…しかし、実際に下りにかかったのはさらに少し先でした。


とにかくも下りに入り、再びストックを出して使いつつ急坂を下りていきます。
傾斜が緩やかになってきたところで阿曽原谷の沢を木橋で渡り、また少し登り返すと、テント場が現れました。
すでに到着して休んでいる先ほどのパーティーの方に挨拶しつつ、広いテント場を横切って、もう一段上に建っている小屋へ。
到着時刻、14時30分。
滝から小屋までは1時間程度で着けると見込んでいたのですが、結局1時間半近くかかりました。

下ノ廊下 1日目の1(列車編)

朝6時前、ホテルをチェックアウトして富山地方鉄道新魚津駅へ。
6時ちょうど発の宇奈月温泉行きに乗り込んだのは私だけでした。
運転士さんの「おはようございます」という挨拶に思わず返事をして、席に座ります。


途中の舌山駅で、同じくザックをかついだ中年女性の2人組が乗り込んできました。
この駅は高速バスの黒部バス停最寄り駅なので(とはいえ徒歩で30分くらいかかるようですが)、時間的に考えると夜行のバスで着いて、その足で駅まで来たのでしょうか。
登山者風なので「これは同業者かなあ」と思っていましたが、まさにその通り、この後欅平まで一緒になるのですが、それについてはまた後ほど。


宇奈月温泉駅に到着し、駅を出て5〜10分ほど先にある黒部峡谷鉄道宇奈月駅まで歩きます。
宇奈月駅では、まだ朝の7時というのに大量の人が列車を待っていました。
しかし、そのほとんどは観光客や登山者ではなく、作業服を着た人たち。
黒部峡谷鉄道はもともと関西電力のダムや発電所の工事のために敷かれた路線なので、今でも工事や保守のための関係者が多く利用していて、工事関係者しか乗れない専用列車も走っているくらいなのです。


その専用列車が2本続けて出た後で、ようやく一般客が乗れる列車の始発になるのですが、それまで時間があるので駅の中を見て回ることに。
待ち合いスペースの片隅に、「黒部峡谷に住むクマ」と題した剥製がガラスケースで飾ってありました。
そういえば、列車を待っている他の登山者の皆さんは、ほとんどがクマ除けの鈴やベルをザックにぶら下げています。
今年はクマ出没のニュースが多いこともあって、私も準備しておこうかと思っていたのですが、気に入ったものがなくて結局持ってこなかったのでした。
とにかく、この先本物に出会わないことを祈るしかありません。


始発列車の改札が始まりました。
列車はオープンエアのトロッコ車両と、普通の電車のようなタイプの車両の2種類がつながれているのですが、後者は別料金がかかるので、貧乏人の私はもちろんトロッコ車両を選択。
もちろん、雨風はしのげないので(今回雨は降りませんでしたが)寒くないようにしっかり着込んでおきます。
切符を買う時に渡された整理券に書いてある車両に乗り込むと、先ほどの女性2人組が先に座っていました。
その他の登山者は、どうやら他の車両のようです。


いよいよ出発
いよいよ出発


宇奈月駅を出た列車は、黒部川に沿ってゆっくりと上流へ向かい走っていきます。
普通の鉄道よりもレールの幅が細いので、カーブが急なこと急なこと。
直角に近いカーブもあって、思わず笑ってしまいました。


1時間10分ほどトロッコに揺られ、欅平駅に到着。
2本の列車を同時にさばくためなのか、ホームが異様に長い。しかも出口はホームの反対側にあるので、駅の外に出るまでに5分くらいかかりました。


駅前の広場からいよいよ今回のルートに入ることになります。
トイレなどを済ませて広場に出てくると、宇奈月から乗ってきた他の登山者の姿が見えません。
どうやら先に出ていってしまったようです。ちょっと心細くなってきました。


私も歩き出す準備をしているうち、どこからか例の女性2人組がひょっこり登場。
あっ、自分が最後じゃなかったんだ!良かったー!
また少し元気になって、2人よりも先に歩き出しました。時刻は9時14分。

下ノ廊下 0日目

今年の山行ファイナルとして、富山・黒部は下ノ廊下へと行ってきました。



「下ノ廊下」とは黒部川の上流、立山黒部アルペンルートの中にある黒部ダムから、およそ16km下流仙人谷ダムまで、黒部峡谷の中を川沿いに延びる歩道の通称です。
仙人谷ダムからさらに14kmほど下流の、黒部峡谷鉄道(いわゆるトロッコ列車)の欅平駅まで続く「水平歩道」とあわせ、水力発電に適した黒部川電源開発を行うために、昭和初期に調査目的で川沿いに岩をくり抜いて人工的に作られた道です。
このため、上り下りがほとんどなく平らである代わりに、人がようやく通れる程度の幅しかなく、しかも川の水面から数十mの高さを行くという特徴的な道であります。


しかも、冬の黒部峡谷は豪雪地帯で、春夏になっても残雪がコース上に残っており、雪が消えても雪崩で道が崩壊していることがあるため、通れるようになるのは整備が終わる毎年9月下旬の頃から。
11月に入るとまた雪が降り出すので、実質的に2か月程度しか歩けない道ということになります。


今回は便宜上、「水平歩道」にあたる区間もあわせて、黒部ダム欅平の約30kmを「下ノ廊下」と総称することにします。


これだけ聞いても、具体的にどんな道なのやらピンとこない方も多いでしょうが、そんな方にはコースの途中にある阿曽原温泉小屋のサイトをごらんいただきましょう。



はい、お分かりになりましたか? すごい場所ですねえ。


このルートは、15年前くらいに立山に登ろうと思って買った「立山剣岳」のガイドブックに載っていたことから知ったのですが、そこには「上級者コース」とはっきり書いてあり、厳しいコースであることが文章からも写真からも伝わってきて「自分のような人間が行けるようなところではないな…」と思っていました。
しかしここ数年、このコースを通行した方々の体験記をネット上で多く見かけるようになり、15年前のガイドブックからは分からなかった情報も伝わるようになってきました。
中には「確かに転落したら終わりだが、気をつけて通れば問題はない」と明言している記録も。
どうやら、昨今はルートの整備が進み、一握りの上級者にしか許されないというわけではなくなってきているようです。
もしかすると自分にも行けるんじゃないか。いや、行けるかもしれない。行けるだろう。行きたい!
そんな思いが急にメラメラとふくらんできて、2年ほど前から計画を考えるようになりました。


さて、計画する上でまず問題になるのが「黒部ダム欅平、どちら側から入るか?」ということです。
黒部ダムから入る場合のデメリットとして

  1. 黒部ダムから山小屋のある阿曽原までの距離が長く、朝早く出発しないと明るいうちに到着できないおそれがある
  2. 欅平からのトロッコ列車は、往復切符でやって来て折り返す観光客で日中の便が満席になることが多く、早い時間帯の列車に乗るためには暗いうちから出発する必要がある

といった点があります。


1.は黒部ダム近くのロッジくろよんに前泊することで解決できますが、貧乏人の私にとって、1泊2食で10,000円ほどもするロッジくろよんは正直言って割高です。
欅平から入る場合はこの区間は2日目になるので、阿曽原を朝早く出ればいいわけですし、欅平出発前に前泊するにしても、富山・魚津や黒部あたりのビジネスホテルならロッジくろよんの半額程度。
2.についても、落ちたら一巻の終わりという道(しかも初めて通る道)を、真っ暗な中ライトの明かりだけで歩くというのはリスクが大きすぎます。
早い時間帯の列車をあきらめてゆっくり出発するとしても、欅平発があまり遅くなりすぎるとその日のうちに帰宅できない。


一方、欅平から入る場合は

  1. 最初にいきなり標高差300mほどの急登をこなさなくてはならない
  2. コース全体で見ても登り基調なので、逆のルートよりも時間がかかる
  3. 黒部ダム方面から来る人のほうが圧倒的に多いため、途中ですれ違いが頻繁にある

といったところが欠点ですが、本来山なら登るのは当たり前であるし、余計に時間がかかるといってもせいぜい数時間程度の差、すれ違いは…行ってみなきゃわからないし、まあ何とかなるだろう!


そんなわけで、早い段階で「欅平側から入山」ということに決めたのでありました。


日程としては、池袋から出ている富山行きの夜行バスに乗り、翌朝に富山に到着したその足で欅平に向かい、そのまますぐに入山、ということも考えられるのですが、夜行バスではあまり寝られない体質ゆえ、睡眠不足の状態でああいった道(しかも初めて通る道)を歩くのは避けたい…
よって、やはりここは万全を期して前日のうちに富山側へ入って1泊し、翌朝の始発で欅平へ、ということにしました。
欅平までは、まず富山地方鉄道宇奈月へ、そこでトロッコ列車に乗り換え…ということになるため、宿はJRと富山地方鉄道の乗換駅である魚津駅近くで予約。
宇奈月で泊まれたら便利なのですが、なにぶんよく知られた温泉地のため高級旅館ばかりで、下手をするとロッジくろよんより高くついてしまうため断念。
まあ、魚津から来てもトロッコ列車の始発に乗れるので、大した違いはありません。早起きする必要はありますけどね。


出発の1週間くらい前から、雨は降らないだろうか…と毎日天気図や予報と睨めっこしていましたが、気圧配置からしておそらく大丈夫でしょう。
登山届も富山県警にメールで送付しておき(これについては後日談あり、21日の日記を参照)、念のため登山保険の証書も引っぱりだして万が一の場合の手続きを確認。



とまあ、そんなことがあって、この日魚津へ向かう車中の客となったわけです。
すでに外が真っ暗な中、魚津駅に到着。


駅から数分のホテルに落ち着き、食料の買い出しも済ませて、いよいよ準備は万端です。
明日からの道を想像して武者震いしつつ、翌朝に備えて早めに就寝するのでした。



翌日に続く。

上村松園展@国立近代美術館

JamesMaki2010-10-06

初夏のころに「松園の大規模な展覧会がこの秋にあるようだ」ということを知り、大いに期待し楽しみにしていたこの展示。
会期に入るのに合わせて日経新聞では松園の特集も組まれ、それを読みつつさらに期待は高まります。


東京での展示は会期が前・後期に分かれており、間に作品の入れ替えがあるとのこと。
ほとんどの作品は通しで展示されますが、『焔』などは前期のみ、『序の舞』などは後期のみでしか見られません。
最初のうちはどちらに行くか思案していましたが、私の一番好きな『砧』が後期のみと分かり、あっさり決定しました。


というわけで、後期が始まって2週目、行ってきましたよ竹橋へ。



国立近代美術館に到着すると、チケット売り場はすでに長蛇の列。
私は招待券を持っていたのでそのまま入場できましたが、中に入ってみるとやはりかなりの人です。
mixiのコミュで「(前期は)そんなに混んではいなかった」という情報を聞いていたのですが、やはり有名な『序の舞』が出てくる後期はそうはいかないということでしょうか。


展示作品は、以前に奈良の松伯美術館や都内の各美術館で見たものもあったものの、初めて目にする作品も多く、実に楽しめました。
何より、松園の作品がこれだけ大量に一堂に会するだけあって、スケールメリット(?)を活かして作品ごとの特徴を他と比べるということができます。
初期の頃の作品は、きちんと描き込まれていて真面目に制作されていることがよく伝わってきました。
一方で後期のものは、キャリアを積むに従って力の抜きどころをうまく心得るようになってきているという印象です(もちろん、初期と比べて不真面目というわけではありません)。


まあ素人の御託はともかく、『砧』です。
実物と対面するのはこれで3度目くらいだと思いますが、やはり何度見てもすばらしい。
他の作品をすべて見た後で、また戻ってきて二度見てしまいました。
東京の山種美術館の所蔵作品なので、また見るのがそんなに難しいというわけではないんですけどね。


展示を見終えて出てから、美術館の常設展も(閉館時間間近だったので)駆け足で回り、出口で今回の図録を求めます。
図録以外にも絵はがき、クリアファイルや一筆箋などのグッズが揃っていましたが、しかし『砧』関連の商品はまったく置いていなかった!何故!
…山種に行けということなんでしょうか。とほほ。


いずれにしても大満足の展示でした。人がもうちょっと少なければもっと良かったのですが、こればっかりは仕方ないですね。

屋久島・宮之浦岳縦走 オマケ(資料編)

今回は私にとって初めての無人避難小屋泊まり、食事も全部自分で用意するという山行になり、事前にいろいろと下調べをしました。
情報源になった各サイト様への恩返しの意味も含め、またこれから同じコースを登るという方々にとっても何かの参考になるかと思って、気付いたことなど簡単に書いておくことにします。

ルートマップ

食料計画

山中での食事は以下の通り。
これに加え、非常食としてさらにフリーズドライの餅、予備のカロリーメイトなど3食分程度を携行していましたが、必要になる場面のないまま下山できました。ありがたい。

行動食はアミノバイタルウィダーなどのゼリーとカロリーメイト(ブロック)を中心に、キャラメル(袋入り)、飴(2種類)、ビスケット(今回はカントリーマアム)やアーモンドチョコなどの組み合わせです。
お昼ころの休憩でゼリー・カロリーメイトを摂取、その他の休憩のたびにキャラメルや飴の2〜3包みを開けて口に入れるという感じでした。
余った食料やお菓子をSさんIさんと交換したりもして、食事の面ではまあまあそれなりに充実していたのではと思います。
ちなみに、カロリーメイトは4本入りを5箱用意しましたが2箱分が余り、袋入りのキャラメル・飴・ビスケットなどもそれぞれ半分ほどの量が余りました。まあ、非常食の分も含まれているのでそんなものでしょう。


なお、2日目と3日目には小屋を出発する前にアミノバイタルPROを飲んでいます。歩き終えた後、そして下山後も筋肉痛などがほとんど出なかったので、結構効いたのかもしれません。

水場

淀川登山口〜宮之浦岳〜新高塚小屋の間は、はっきり「水場」と表記してあったところは淀川小屋と翁岳下の2箇所しか見つかりませんでした。あるいは探し方が足りなかったり見落としたりしているだけで、他にもあるのかもしれませんが。

  • 淀川小屋の水場は、小屋を出て右側(登山口側)を見ると、テント場の隅に「水飲場」という標識が足下にあって、そこから右側へ下りて行く細い道があります。道は10mほどで淀川(の支流?)につながっていて、川から直接汲むことになります。
  • 翁岳下では登山道右側に「宮之浦岳まで最後の水場」という標識が立っていてすぐ分かります。上から水がじゃばじゃば流れてきていて、水量はかなり豊富でしたが、まあ通った日の天気が天気だったからというのもあるのでしょう。


新高塚小屋〜縄文杉〜大株歩道入口〜辻峠〜白谷雲水峡の間は、宮之浦岳ルートと比較して水場は多くありました。特に縄文杉から下は、あちこちに水場があって補給に困ることはあまりなさそうです。

  • 新高塚小屋の水場は、小屋から木道をまっすぐ反対側まで進み、突き当たりを左に少し下った奥にあります。木道の途中で右側に折れるとトイレ、さらに宮之浦岳への登山道に続きます。
  • 高塚小屋には水場がなく、10〜15分ほど下っていって縄文杉展望デッキの下にある水場が一番近いようです。昼間は混みそう。
  • 白谷小屋は小屋前の広場の脇に水場があってたいへん便利。小屋のだいぶ上のあたりの道で、送水用と思われる白いパイプが下へ延びているのを見かけましたが、これが小屋まで続いているのでしょうか。

その他

屋久島についての基礎的なことから登山情報まで、屋久島リアルウェーブにはお世話になりました。
また、写真によるコース紹介としてはこちらのサイトが非常に詳しいです。

屋久島 その2

JamesMaki2010-09-03

前の晩は宿に戻ってから久々の風呂に入ったり、汚れ物を洗濯したり荷物の整理をしたりで、それほど早くは床に就けなかったのですが、それでもこの朝は6時くらいに目が覚めました。
ついに屋久島での最終日となったこの日、まず行く先は島の反対側にある大川(おおこ)の滝です。


宿のチェックアウトは9時となっており、出かけている間にこの時間になってしまうので、手早く荷物をまとめて階下の受付へ預けます。
ヘルメットをかぶって今日もバイクをスタート!


昨日の永田浜を過ぎ、その先の西部林道へ突入。
この西部林道は道自体が世界遺産登録地域に含まれているのですが、道幅は狭いし見通しは悪いし、しかも「動物注意」の道路標識(ご丁寧にもシカとサルの2種類あり)は立ってるしで、車だったらこんな道とても通れません。
そういえば、昨日このバイクを借りた時にもらった島内マップでは、この西部林道の区間にわざわざペンで×印が付けてあり、「手前で引き返すように」というような矢印が書かれていました。
やっぱりバイクで正解だったんだなあ。


西部林道
西部林道


なんてことを考えつつ、ゆっくり走っていると、カーブの向こうから車がひょっこり現れました。
えっ、通る車あるの?
しかも軽じゃなくて普通乗用車です。チャレンジャーだな!


その後も1台か2台の車とすれ違いましたが、なぜか後ろから来て追い抜いて行った車はありませんでした。
んー、ここ別に一方通行ではないはずだけど、単なる偶然? それとも暗黙の了解みたいなのがあるとか?


結構長く感じられた西部林道をようやく抜け、道幅も元に戻ったところでなおもしばらく進んだ先に、大川の滝へ入って行く道があります。
バイクを入口に駐めて、滝の近くまで行ってみました。
さすが日本の滝百選のひとつだけあって、相当な迫力です。
聞いたところでは滝壺のすぐ下まで近づけるそうなのですが、道の終わりまで来ると大きな岩がいくつも通せんぼをするかのように立ちふさがっています。
仕方なくここで引き返しました。
…それとも、岩を乗り越えて進んでいけばよかったのだろうか?


大川の滝
大川の滝


帰りはまた同じ道を引き返すつもりでしたが、バイクの返却時間(と、さらにその後帰りの船に乗り込むまでの時間)にはまだまだ余裕があります。
だいたい、一度通ってきたルートをわざわざ戻るのも芸がない。
ちょっと考えた結果、よし、このまま同じ方向へ進んで島を一周してしまおう!と思い立ちました。


というわけで、再びバイクで発進。


昨日に引き続き快晴の空の下、快調に走って行きます。
もちろん車には(これまた昨日同様に)バンバン抜かれていきますが、細かいことは気にしない!


大小の集落をいくつも過ぎ、大川の滝から1時間半ほどで、再び宮之浦まで戻ってきました。
おおよそ3時間ほどで島を一周した計算になります。そんなもんか。


まだまだ時間が余っているので、宮之浦集落の一角にある益救(やく)神社に、宮之浦岳から無事下山できたことのお礼も兼ねて参拝することにしました。
鳥居の前で写真を撮っていると、近くを歩いていた地元の人らしきおじさんが「撮っちゃろう」と言います。
別に自分が入った写真がほしいわけでもないので「いいです」と言ったものの、おじさんがカメラを受け取ろうと手を伸ばしているので、それならとお願いすることに。
鳥居の前で棒立ちになる私を激写したおじさんは、カメラを返すと「蒸すなあ」と一言つぶやいて立ち去っていきました。


ガソリンスタンドに寄って満タンにし、昨日のレンタカー営業所へ返却に向かいます。
正午の船に乗って帰るというお客さんたちがちょうどまとまって返却に訪れており、昨日のおじさんもてんてこ舞いの様子でした。
さらに今度は借り出すお客さんがやってきたりして、待たされることしばし。ギリギリに行かなくてよかった。


預けてある荷物を取りに行くために宿まで車で送ってもらい(本当は港まで送ってもらいたかったのだが「そこまでは送れません」と言われてしまいました。ちぇっ)、その間にもいろいろな話を聞きます。
曰く、この島の人口の半分ほどは島外出身者であること(本当かどうかは分かりません。サービス業従事者の半分ということかも知れない)、島のベストシーズンは気候が安定していて他の観光客が少ない6月・10月であること、等等。


宿で荷物を受け取って、港入口のすぐ前にある屋久島観光センターで土産品を調達、さらに2階のレストランで昼食を済ませてからフェリー乗り場へ。
今日乗るのは、3日前に乗ってきたのとは別のフェリーです。
乗船してみると、こちらは広いロビー、ホテルのフロントデスクのようなカウンターがあり、さらには漫画や絵本、屋久島に関する本などが備え付けられていて、到着までの間借りて読めるようになっているなど、若干設備が豪華。
とは言っても、航海時間は来たときのフェリーとほぼ同じです。当たり前か。


定刻の13時半に出航。
岸壁で手を振っている親子連れがいたので、こっちからも手を振ってみると、気付いた様子でさらに大きく振り返してくれました。


外洋へ
外洋へ


さらば屋久島! また会おう。

屋久島 その1

無事予定通りに下山できたため「これからレンタカーを借りようと思っている」とSさんIさんに告げたところ、2人で何やら相談を始めました。
2人はこの日安房で宿を探すつもりとのことで、そこまでバスで移動するか、私と同じく翌日までレンタカーを借りるか、ということのようです。
結局2人もレンタカーにすることになり、SさんとIさんにレンタカー屋に電話してもらいました。


迎えにきてもらった車で営業所へ。
私は1人ということでバイクにし、SさんIさんは軽のバンを借ります。
いずれもこの日残っていた最後の1台ということで、「みなさん運がいいですよ」と営業所のおじさん。
もっとも、2人は「できたらナビ付きの車が良かった」という様子でしたが。


手続きをしてヘルメットとキーを受け取り、出発。
SさんIさんとはここでお別れ。ありがとうございました、さようなら!


宿に入って荷物を部屋に入れた後、再びバイクにまたがって西を目指します。
向かうはラムサール条約にも指定されているという、永田いなか浜。
毎年ウミガメが産卵・孵化する場所としても知られているところです。


バイクとは言っても50ccのスクーターなので、さほどスピードが出せません。
レンタカー屋のおじさんに「バイクで出せるのは30キロちょっとまでですよ。屋久島のおまわりさんはヒマなので、あっちこっちで張ってますよ」と注意されていたので、本当かいなとおっかなびっくり走っていると、後ろから来る車にバンバン追い越されます。
まあ車に追い越されるのは仕方がないのですが、同じくスクーターに乗った制服姿の女の子(地元の高校生?)にブチ抜かれた時には、さすがに「やっぱりバイクじゃなくて車にすればよかった…」と後悔しました。
ただ、その場合SさんIさんは借りられなくなっていたわけなので、それはお世話になった2人に対して申し訳ない。ま、これもいい経験(話のネタ)になったと考えることにします。


宮之浦から40〜50分ほどで、目的地の永田いなか浜に到着。
ちょうど日没間近の時で、水平線の向こうに見える島(口永良部島)の上にゆっくり沈んで行く夕陽に「おおー」と内心で感動しながら、しばらく見入ります。


永田浜
永田浜


ウミガメの卵を調査しているのか、浜辺に穴を掘っている人たちが近くにいました。
穴を掘っていた人は底から卵のようなものを何十個も取り出して、もう1人がクリップボードに何やら書き取っています。
ウミガメの卵が孵化する時期に当たっているということで、もしかして孵化の様子も見られるかなあと少し期待していたのですが、結局ウミガメがらみのものはこれ以外に見ることはできませんでした。まあ、そう上手くはいきませんね。


日も完全に沈んで暗くなってきたし、そろそろ帰ろうかと思っていると、近くにいた観光客風の若い男性が近づいて声をかけてきました。
「すみません、お一人ですか? どちらから来られましたか?」
一人で、宮之浦からだ、と答えたところ、「もしかしてレンタカーでしょうか?」
ああなるほど、乗せてもらいたいんだな、とようやく分かりました。
ここまでは一応バスの便はあるものの、1日に何本という本数で、18時前にはもう最終バスが出てしまっているのです。


しかし、こちらはあいにくバイクなのでもちろん乗せてあげられません。
その旨を告げると、ああーという表情をした後、それでもなお「2ケツができるようなバイクじゃないですかね?」と食い下がってきます。
スクーターなんですみません、と言ってその場を後にしました。


あとは来た道をそのまま戻って、宮之浦の宿へ。
温泉など、行こうと思えば行けるようなところもまだありそうでしたが、下山したばかりでもあり、無理はしないことにします。


しかし、永田浜の彼はその後無事に帰れたのでしょうか。