下ノ廊下 2日目の5(帰宅編)

トンネル入口に貼り出されていた案内図に従い、トンネルに入ってトロリーバス乗り場へ。
…と思ったのですが、予定より早く着いたので、せっかくだからすぐ帰らずにちょこっとダム見学でもしていこうと、ダム展望台に出ることにしました。
乗り場への通路とは反対側の階段を上って展望台を目指します。
ダムに着いてもまだ登るのか…という気もしないではありませんが、まあ何事もなく無事に着いたんだしいいじゃないか、ということにしておきましょう。


220段の階段の上に出て、ダムを見下ろします。
さすがにデカい…。


黒部ダム
黒部ダム


右を見れば、今まで歩いてきた谷が奥へと続いています。
あの方から30km歩いてきたんだなあと思うと感慨もひとしお。


展望台から階段を下り、ダム堤防上の道路へ。
さすがに私のような登山者はまったくおらず、一般の観光客だらけでした。
しかも韓国語や中国語が多く飛び交っている。ツアー客なんでしょうかね。


一通り見て回った後で、それじゃぼちぼち帰るかな、と、トロリーバストンネル内に戻ることに。
切符売り場で扇沢行きの切符を求め、待合所に出ると、すでにバスを待つ行列ができています。


何じゃこりゃ、と私も列に並ぶものの、改札(券面のバーコードを機械で読み取る方式。進んでる!)を通ってバスに乗り込むと、目の前で座席がすべて埋まってしまいました。
まさかの立ち席…。
まあ、そんなに長く乗ってるわけじゃないので我慢はできるのですが。


乗車
乗車


このバスは架線からの電気でモーターを動かして走っているので、音が電車そっくり。
ずっとトンネル内を通るということもあって、雰囲気は地下鉄に近いものがあります。


途中、富山県・長野県の県境や、破砕帯(地下水の多い軟弱地盤で工事の際に困難をきわめた箇所)のところではトンネルの壁面に標識が出ていましたが、立っているのであまりよく見えないまま通過。


15分くらいの乗車時間で長野県側の扇沢に到着。
バスを降りたところが展望台のような広い場所になっていますが、真っ白にガスっていて景色は何も見えません。


ここからJRの信濃大町駅までの路線バスに乗り換えるので、30分ほどの待ち時間の間に下山連絡をしようと携帯を開くと、画面に留守電のアイコンが。
さっそく聞いてみると…


「こちらは富山県警山岳警備隊の○○といいます。
あなたがメールで提出された登山計画書についてお聞きしたいことがありますので、山岳警備隊までお電話いただけないでしょうか。
番号は…」


えっ、聞きたいことっていったい何だろう。
計画書に記入漏れや不備があったんだろうか。
それとも「こんな甘甘の計画で下ノ廊下なんぞに行こうってのか?ああん?」なんて怒られたりするんだろうか。ひぃぃっっ!
考えこんでいるうちにバスがやってきたので、とりあえず乗り込みました。


先ほどのトロリーバスの乗客はほとんどがツアーでやってきていた団体客だった様子で、駐車場で待機していた観光バスに続々と吸い込まれて発車していったため、この路線バスの乗客は10人程度。
扇沢から30分ほどで、すっかり暗くなった信濃大町駅前に到着しました。
ふーっ、ようやく人里に戻ってきた。


さっそく山岳警備隊に電話。
18時を回っていたので、電話がつながるかなと少し心配でしたが、ちゃんと係の人が出ました。
あのー、登山計画書の件でお電話をいただいた者ですが。
「ああ、あなたですね」
向こうもすぐに分かったようです。


「実は、メールで送っていただいた登山計画書が…」
はい…?


「…文字化けしていまして」


…文字化け…ですか…?
「そうなんです」


なーんだ、と、一気に緊張が解けました。


「最初から数行ほどは問題ないんですが、その後が化けてしまっていて、ところどころ『欅平』といった文字が数か所分かる程度なんです」


そうかあ、無謀な計画だとか怒られていたわけじゃなかったんだ。よかったよかった。一安心。
…あ、いや、もし万が一のことが起こっていた時のことを考えると安心すべきではないですね。
もちろん、そんなことは電話口では言わず、係の方の話を聞きます。


「次回からは余裕を持って計画書を提出してもらえるようお願いします。
それから、今回の計画書はワードのファイルでしたが、他のフォーマットでも構いませんので」


今回は、富山県警サイトの「登山」のコーナーに置いてあるファイル(リッチテキスト形式)をダウンロードして、中身を記入して送ったのですが、PDFなど他の形式や、またファックスでも大丈夫だということです。
結構融通を利かせてもらえるんですね。当たり前といえば当たり前かもしれませんが。


というわけで、下山の報告も兼ねた電話は終了。
電車の時間までまだ余裕があるので、駅前の土産物屋に入ってみることに。


背中のザックを見た店のおばちゃんが「山登りでもされてきたのかしら?」と話しかけてきました。
ええ、実はこういうルートを歩いてきまして…と話すと、おばちゃん「あらまー」と吃驚。
「クマには遭わなかった?」
いやあ、もし遭ってたら今頃ここにいませんからね。


おばちゃんトークに引き込まれて野沢菜など求めてから電車に乗り、松本へ。
1時間ほどで到着した松本の街は、2日の間山中を歩いてきた目にはおそろしく大都会に映りました。…いや、実際に都会なんでしょうけど。


松本バスターミナル
松本バスターミナル


駅前のバスターミナルから高速バスに乗り込み、一路帰宅の途に。
いやー、いろいろあったけど楽しかった! また行きたいものです。

下ノ廊下 2日目の4(ラストスパート編)

このあたりで、デジカメのバッテリー残量が残りわずかという表示が出るようになってきました。
何しろ昨日だけでも200枚以上撮っていて、満充電の状態で家から持ってきたバッテリーが、小屋では3分の2の残量になっていたくらいなのですが、今日も今日とて朝からバシバシとシャッターを切っており、仙人谷ダムを出るあたりですでに残量3分の1を示していたのです。
景色が単調になってきたのもあって写真を撮るペースを若干落とし、撮る際もなるべくサッと撮ってすぐにスイッチオフするようにし「節電」に務めますが、果たして最後まで持つだろうか。


新越沢合流点、鳴沢小沢などのポイントを通過。
単調な景色のせいか、歩き通しだった(といってもさっき黒部別山谷で休んでいるのですが)せいか、またも少し疲労を感じるようになってきました。
まだ昼食分の食料が少し残っているので、内蔵助谷出合で休憩することにし、なおも先へ進みます。


しかし、その内蔵助谷がなかなか見えてきません。
時計とここまでのコースタイムで判断するに、12時半くらいには着けるかと思っていたのですが、12時45分になっても到着できません。
精神的な疲れもあって、もうここでいいや!と、谷を見下ろす開けたところでザックを下ろします。


しかし、開けているということは吹きさらしでもあるということなので、しばらく座り込んでいるうちに体が冷えてきてしまいました。
これはいかんと防寒着のフリースを出します。
ここで休んだのはちょっと失敗だったな。


ここでも20分ほどの大休止をとった後でリスタート。
歩き出して10分弱ほどで、木橋が見えてきました。
あっ、あそこが内蔵助谷か! さっきの場所からもう10分だけ歩けばよかったのか…。


谷に架かる木橋を渡ってすぐ、右側より来る真砂沢方面からの道と合流。
ここから黒部ダムまでは一般コースで特に問題はないと聞いていたので、さらに気が楽になります。


しばらく歩くと、「平成22年9月25日にこの先数百mの区間で大きな落石がありました」という立て札がありました。
具体的な日付(しかも今年)が書いてあると不気味だなあ。
気をつけながら通行することにします。


落石のあった区間を無事に通過すると、川の対岸が人工護岸になっているのが見えてきました。
さらに少し先まで行くと、この日朝に仙人谷ダムの先で歩いてきたような車道が通っています。
さらに、何やら向こう岸から唸り声が聞こえるようになり、しばらくしてその車道を工事用の重機がゆっくり走ってくるのが目に入りました。
黒部ダムも近いようです。


そしてその通り、さらに5分も歩くと、木々の間から高さ186mのダムがついに見えてきました。


ダムが見えてきた
ダムが見えてきた


対岸へ渡る橋に差しかかると同時に、向こうから登山者が1人歩いてくるのを発見。
最後に対向者とすれ違ったのは内蔵助谷の手前(それでも阿曽原を目指すにしては時間的にだいぶ遅いタイミングですが)だったので、こんな場所ですれ違いがあるとは思ってもみず、ちょっと吃驚。
この人はいったいどうするつもりなんだ?と、挨拶ついでに「どちらまで?」と聞くと「内蔵助谷」との答えでした。
ああなるほど、あそこでテントを張るのね。
「お気をつけて」と声をかけて別れます。


橋に出て、ダムを下から眺めたところを写真に収めようとすると、ついにデジカメのバッテリーが切れてしまいました。
だましだまし使ってきたのですが、完全にお亡くなりになってしまったようです。無念。
仕方なく、昨日の朝から電源を切ってザックにしまっていた携帯電話を取り出し、以降はこのカメラで撮ることにします。
電源を入れると、いきなりメールが入ってきました。なんと携帯が通じる!
まあ、考えてみたら黒部ダムは観光地なんだから携帯が使えても不思議ではないのですが、ずっと圏外の山の中を歩いてきて突然電波が入るようになるというのも一種奇妙な感覚ですね。


橋の向こうからぞろぞろと渡ってくる、ヘルメットに作業服姿の工事関係者の皆さんとすれ違いつつ、ダムを目指して最後の登りにかかります。
最初は緩やかな道だったのですが、次第に急な坂になってきました。
あと少しだからと、自分を奮い立たせて進んでいきます。


紅葉の進んでいる山々を眺めながら、ダム下の橋から登ること30分弱、ようやく広い道に出て傾斜も再び緩やかになりました。
ここからさらに5分ばかり行くと、トンネルの入口のようなものが見えてきます。
おっ、もしかしてあれがゴール地点じゃないか?


果たしてその通り、見えていたトンネルは関電トロリーバス乗り場への入口でした。
到着時刻、14時50分。


トロリーバストンネル入口
トロリーバストンネル入口

下ノ廊下 2日目の3(白竜峡・黒部別山谷編)

程なくして「この先100mの区間は整備が完了していないため高巻道を通行してください」という看板とともに、丸太を組んだハシゴが登場。
ビルの3階分はあろうかという高さまで上っていくようです。
おいでなすったぜ!という気分に(またしても)なりつつ、慎重に上っていきました。


時間的にそろそろ黒部ダム側からやってくる登山者と出会う頃なのですが、こんなところで出くわしてしまうとすれ違いが非常に困難。
頼むからまだ来ないでくれ…と内心で祈りながら高巻きの桟道を通過します。


高巻き桟道上
高巻き桟道上


桟道の終点は下りのハシゴ。
上り以上に注意しながら下り終え、少し先に進んだところで、向こうから登山者が歩いてくるのが見えました。
この日初めてとなるすれ違いは初老の男性2人組でしたが、高巻き上での遭遇は何とかギリギリで免れたようです。あと5分10分遅かったらアウトだったんだよな…。助かった。


しかし、白竜峡はこのルートの中でもかなり道が狭くなる区間なので、すれ違いが簡単にはいかないことに変わりはありません。
向こうもこちらを確認してどうしたものかと少し迷っている風でしたが、上手い具合にこちらの近くに道幅に余裕のあるところを見つけ、そこに立って「どうぞ!」と声をかけました。
「申し訳ない」と言いながら通り過ぎるおじさんたち。いやいや、別に謝らなくても。


山ですれ違う際は基本的に登る人のほうが優先なのですが、このルートの場合は登り下りに関係なく、臨機応変に対処するほうが良さそうです。
そもそもどっちが登りなのか分かりづらいし。
というわけで、この2人組の後にも続々とすれ違いがありましたが、ほとんど私の方が道を譲っていました。まあ、たいてい向こうの方が多人数だったからね。


白竜峡の狭い道やら桟道やらガレ場やらを通過し、黒部別山谷出合までやってきました。
このあたりは下ノ廊下の中でも遅くまで雪渓が残っているところで、どれだけ残っているかによって通過の方法が異なります。
雪渓が完全に谷をふさいでいればその上を渡って通過、雪が消えていれば沢沿いまで下りて徒渉といった具合。


今回は10月下旬ということで雪は完全になくなっていたので沢に下りるわけなのですが、下を見て目をむきました。
ロープが数本垂れ下がっている3mほどの高さの壁に、靴のつま先がちょっとかかる程度の足場が数か所打ち込んであって、それ以外に足がかりはなし。
おまけにこの足場、一定間隔ではなく微妙にズレた位置に打ち込んであって、しかも壁のため足下が見えず、どこに次の足を置いていいのか分からない。
何度か試しては空振りというのが続き、なんとか下りきった時には5分ばかりが過ぎていました。
その間向こうから誰も来なくてよかった…。
しかし、今考えてみても高巻きのハシゴよりも怖い場所でした。これだったら雪渓の上を渡ったほうが楽だったよ。


見上げる
見上げる


さすがに少し疲れを感じ、難所の白竜峡も無事通過したことでもあり、またここまで4時間半ばかり歩いてきたというのもあるしで、ここで大休止を入れることにしました。
ザックを下ろして食料をパクつきます。生き返るなあー。やっぱり行動食だけじゃダメだわ。


休んでいるうちにガイドさんらしき若い男性と一緒の初老のご夫婦がやって来ました。
奥さんのほうに「大変だった?」と聞かれたので「この先(白竜峡)は道が狭くてちょっと大変ですね」と答えます。


20分ばかりして再び出発。
もう今日歩く距離の半分は過ぎているし、一番危ない箇所も通過しているので若干気楽です。


このあたりでごく細かい雨がポツポツと落ちてくるようになりました。
昨日も曇りだったし、今日も晴れそうな感じではないけど、降るのは困るなあ。
しかし大した雨ではないし、雨具を出すかどうか、どうしたものか…と思いつつ歩いているうち、やがて止んでしまいました。


やがて、川幅全体を覆っているスノーブリッジが目に入ってきたかと思うと、そのスノーブリッジのすぐ横あたりに再びハシゴの高巻きが見えてきました。
ハシゴに取り付くと、数十mほど先に下りのハシゴがあり、その横に数名のパーティーが立っています。
「すみませーん、ちょっと待っていてくださーい」と、向こうから声。
ああ、ちょうど向こうから来るところなのか、と了解し、待機。


待っている間に向こう側のハシゴを見ていると、どうもそのすぐ近くまで道がありそうです。
なんでここ通れないで高巻きになってるんだろ?
そのうちに先頭の人が下りてきたので、ルートの先の状況など情報交換。
「この先はもう高巻きはない」と聞いて安心し、ハシゴを上ります。
今回の高巻き道は白竜峡のところのものよりは短かったのでサクッと通過…と思ったら、最後のハシゴを下る途中でズボンの裾のドローコードが針金に引っかかってしまいました。
ちょっと焦りましたが、どうにか三点支持を崩さずに針金を外すことができ、再び歩道に降り立ちます。


高巻き桟道上
高巻き桟道上


来た方向を見てみると、ハシゴから10mほど先のところで道が崩壊しているようで、周囲にロープや丸太などが置いてあるのが見えます。
なるほど、あそこが通れないから高巻きになっているのか。しかしあれくらいの崩壊なら、桟道を渡せば十分なような気もするけどな…。


スノーブリッジを横目にヘツリの道を過ぎ、10数分も歩くと、樹林帯の道になってきました。
左側は河原が近くなってきて、どうやら危険箇所はこのあたりで終わりの様子、内心でホッと一息つきます。
しかし、確かにこの後は狭い道や桟道などの危険箇所はなかったのですが、その代わり周囲は樹林帯やガレ場ばかりで面白みのない風景が延々と続くことになるのでした。

下ノ廊下 2日目の2(十字峡編)

エメラルドグリーンの綺麗なダム湖を右に見ながら、車道を進んでいきます。
途中からまたしてもトンネルに入りますが、ここは車道なので頭上や足下の心配はなし。
トンネルの中間地点あたりからは右側に明かり取りが大きく開き、トンネルというよりスノーシェルター風です。


トンネルを抜けてしばらくすると広場に出ました。
奥には何やらオレンジ色の立て札が立っており、その脇からコンクリートの階段が下へ続いています。
立て札には何が書いてあるのかと思って近づいてみると、何のことはない、ただの板でした。
あるいはもしかすると、昔は何か書いてあったけど色あせてしまったとか、何かある時にだけ貼り紙でもするためのものなのかもしれません。


階段を下り、またすぐに別の階段を上っていくと、東谷吊橋が現れました。
手前がやはり広場になっていたので、少し休んでから吊橋を渡ります。
足下は足幅よりちょっと広い程度の板が2枚渡してあるだけなので、若干心もとない。
おまけに、吊橋なので当たり前なのですが、揺れること揺れること。
中央部に近づくにつれてどんどん沈み込みが激しくなり、両側のワイヤーをしっかり掴みながら進むことになります。
が、そんなに怖いというほどのこともなく(高所恐怖症でなくてよかった)、サクッと渡り終えました。


渡った先からすぐ登り。
頭の上にはブーンと低い音で唸る送電線が走っていて、その先は対岸の崖へと続いています。
そう、この送電線は黒四発電所から来ているんですね。
景観上の問題、そして冬期の雪害から施設を守るために発電所は地下に作られていて、電線は山腹に開けられた出口から外に出てきているのです。


黒四発電所送電線出口
黒四発電所送電線出口


送電線出口がほぼ目線の高さにくる頃になって、道はまた平坦になりました。
しかし、昨日のような桟道が出てきたり、道幅自体も狭くなってきたりして、いよいよおいでなすったという感があります。


S字峡、作廊谷合流点(ここの対岸の崖の上に関電の宿舎があるらしいのだが確認できず)、半月峡などのポイントを過ぎ、十字峡に近づいてきました。
先ほどと同じような吊橋を渡ります。
橋の下は剣沢という流れで、かなりの水量があり、本流に流れ込む水が轟々と音をたてています。


橋を渡り、数段ほどのハシゴを上ると、傍らにちょっとした広場がありました。
中央には焚き火らしき跡が残っています。ここでテントを張る人がいるんでしょうか。


この広場の奥から川の近くまで出る道があると聞いていたので、数分ほど休んでから下りていくことにしました。
ザックは広場に置いて空身で向かいます。
林の中の道は狭く急で、しかも滑りやすいので注意して進んでいくと、5分ほどで大きな岩が現れました。
岩の上に上ると、目の前には十字峡の一大パノラマが。


視界の手前から奥へ向かって流れる黒部川に、左側から先ほどの剣沢が、右側からは棒小屋沢が滝となって流れ込み、十字を形づくっています。
剣沢の水の音が谷間に響き渡り、視覚にも聴覚にも大迫力で訴えかけてくる自然の驚異。
まさに下ノ廊下のハイライトです。


見晴台より
見晴台より


もうしばらくボーッとのんびり眺めていたかったのですが、何しろまだ先は長い、5分ほど写真を撮りまくった後で上に戻ることにしました。
この岩からさらにもう一段下へロープ伝いに下りることもできるものの、それはまた次回ということにしておきます。


広場に戻り、再びザックを背負って出発しようとすると、上に誰かいるのに気付きました。
追いついてくる人はいないはずなので「えっ? もう黒部ダム方面からの人が来たの?」と内心驚いて近づいてみると、作業服姿の人が2名休憩しているところでした。
なるほど、作業服を着ているということは人見平から来た関電職員の人かな。それとも歩道整備の業者さんだろうか。
挨拶をして先へ。


十字峡の広場からほどなくして、右の山側から沢の水が流れてきているポイントがありました。
ほとんど滝のような流れです。
滑らないよう足下に気をつけながら渡ったのですが、右足の膝から下がすっかり濡れてしまいました。
しかもその少し先にも同じような徒渉点があり、こういう時スパッツがあれば便利だなあ…と思いつつ通過。


崩壊地を通過、歩道補修用の資材置き場や谷底の残雪などを横目に見ながら進むと、「白竜峡」の標識が現れました。
さあここからが核心部だ、と少し緊張が走ります。

下ノ廊下 2日目の1(仙人谷ダム編)

この日の朝は6時頃出発の予定だったので、5時くらいに起きればいいか…と思っていたのですが、周りのお客さんが早々と起きて身支度をしているので、つられる形で4時過ぎくらいに目が覚めました。
起きてみると、すでに小屋の入口で出発の用意を整えている人も。
大部分の人は欅平方面へ下りるので、トロッコ列車の席を確保する(10/19分の日記参照)ために早発ちしていくのです。
それに比べると黒部ダムへ向かう私はゆっくりできますが、とはいえ今日は長い距離(約18km)を歩くので、あまりのんびりしているわけにもいきません。


荷物をまとめ、水の補給など出発の準備。
前夜のうちに受け取っていた朝食の弁当、出発した後で明るくなってくる頃に食べようかな…と思っていましたが、同じように弁当にした他の方々が食堂のテーブルで食べているので、私もそうすることにします。
ちなみに、食べ終わった後の容器は置いていっても構わないようで、ポリ袋に包まれた空の容器がすでに10数個ばかり、テーブルの片隅に積まれていました。


他に黒部ダムへ向かうお客さんたちも先に出発していき、私もぼちぼち腰を上げることに。
外に出ると、水平歩道を欅平へ向かう皆さんのライトの明かりが、山の中で一列になって動いているのが見えます。


昨日温泉でご一緒した方がまだ残っていたので、準備運動をしつつ少し話をしました。
この方は、黒部ダムから来るというご友人と12時に十字峡で待ち合わせて、その後一緒に黒部ダムまで行くのだそうです。
黒部ダムから十字峡までは何度か歩いているが、阿曽原まで来たのは初めてとのこと。
ははあ、黒部ダム〜十字峡の往復っていうプランもあるんですね。しかし、12時に十字峡で黒部ダムまでというと、相当なハイペースになると思うのですが…。


同室だった大阪の単独の方も出てきて「ダムの方は紅葉も進んでますよ」と情報をくれました。
お2人に挨拶をして、いよいよ出発です。
時刻、5時42分。


出発
出発


小屋からはいきなり急登でした。
欅平からの登りよりはきつくありませんが、それでも朝一番でこれはしんどいと思えるレベル。
防寒着のフリースを着たまま小屋を出てきたのですが、すぐに暑くなってきて、途中で脱いでザックに突っ込みます。
まだまだ空は薄暗く、しかも樹林帯の中ということもあって薄気味悪い。
朝夕はクマの活動時間でもあるし、♪森の中〜くまさんに〜出会った〜♪なんてことになったら…という考えも頭をよぎります。


しかし、10分も登ると道は平らになって歩きやすくなり、気分もいくぶん楽になりました。
それでも、朝露で湿っていたりするところもあって気は抜けません。


平らな道をさらに10分も行くと権現峠のトンネルに差しかかりました。
このトンネルはコンクリートのしっかりした造りに見えるのですが、内部で崩壊しているのか、出口側のあたりで大きな石がゴロゴロ転がっていて足下に注意が必要。
さっきフリースをしまった時にライトも一緒にザックに入れてしまっていたのですが、出したままにしておけばよかった。


トンネルを抜け、すぐ下に黒部川の流れを見ながらさらに進むと、崩落防止のためかワイヤーで固定された岩が現れ、道はそこから左側へ急な下りになっています。
登ったらまたすぐ下りというのは何なんだ…と内心ぶつくさ言いながらどんどん下降。


下り始めてから10分少々、長いハシゴを下りるとようやく平坦になりました。
U字形のカーブをくるんと曲がると、先に大きな建物が。
関西電力人見平宿舎です。


関西電力人見平宿舎
関西電力人見平宿舎


宿舎の横に出て、登山者用に緑色のシートが敷かれた通路を通っていきます。
歩きながら宿舎の1階を横目でチラチラ眺めると、どの部屋も明かりが煌煌と点いていました。
一瞬、自分が黒部の山奥ではなく、普通の市街地を歩いているかのような錯覚に陥ります。


道の突き当たりに、大きな鉄格子がついたトンネル入口がありました。
道はこのトンネルの中へ入っていきます。
入口が鉄格子になっているのは、クマなどの動物が入ってくるのを防ぐため。
格子についた扉を開けて、中へ。


秘密基地のような通路を進んでいくと、トロッコの軌道を2回横切ります。
最初の軌道は支線、2回目は欅平から黒四ダムまでつながっている本線です。
本線の右側は、いわゆる「高熱隧道」と呼ばれるトンネルで、掘られた際には岩盤が160℃という熱さになって工事が難航し、ダイナマイトが自然発火するなどの事故もあって多大な犠牲者が出たとか。
これについては吉村昭の小説『高熱隧道』に詳しいです。
今では送水管が通ったりしてだいぶ温度が下がっているそうですが、それでも奥から熱気がムワーと押し寄せてきて、明らかに空気が違っていました。


一方、左側は黒部川の上を横切っている橋になっています。
ここは作業員の方々が乗り降りしたり、資材を搬入したりするためのトロッコの駅になっており、「仙人谷駅」と標識がありました。


なかなか面白い場所ですが、あまり時間を食ってもいけないので先へ進みます。
狭くて暗い(明かりはあるのですが)通路をさらにまっすぐ行くと、左側にドアが出現。
案内に従いドアを開けて外へ出ると、そこは仙人谷ダムの横でした。


階段を上ったダム堰堤上には、仙人池方面へ行くコースの分岐があります。
そっちの道も相当厳しいコースらしいのですが、いつかは行ってみたい。


ダム上より上流方面
ダム上より上流方面


堰堤を歩いて対岸に渡ります。
渡った先は車の通れる幅の道で、脇にはナンバーの付いていないワゴン車が1台置いてありました。どうやってここまで運んできたんだ?

下ノ廊下 1日目の4(カレー編)

やがて夕食の時間。この日はカレーでした。
といっても、混雑する日はいつもカレーらしいのですが。
テーブルには副菜のコロッケ・ポテトサラダの皿が人数分並んでおり、カレーの皿をカウンターでめいめい受け取ってから席について食べるという流れ。


カレーライス・コロッケ・ポテトサラダ
カレーライス・コロッケ・ポテトサラダ


ご主人が「この米は私のウチの隣の農家から直接買ってます」と説明を始めます。
「今日はお客さんの人数が多いので食事の時間を分けていますが、制限時間内だったらカレーのお替わりは自由です」
制限時間というのは30分弱ほどです。
「ちなみに今までの最高記録は4杯半です。それではどうぞ!」
ご主人からの挑戦に応えるかのように半数くらいの方がお替わりをしていたようですが、私は早食いが苦手なのに加え、カレーを受け取る列に並んだのが最後だったため、残念ながらちょうど食べ終わった頃にタイムアップでお替わりできず。無念。
食べ終わった後の食器は自分でカウンターに下げることになりますが、スタッフから「カレーの皿と他の皿は重ねないでください」とお願いがありました。


食事が終わると、受付でお湯かお茶、または冷ましたお茶が水筒やペットボトルにもらえます。
受付に並んだ私に、「めでたく1人で布団1枚が確定だ」とご主人が笑いながら話しかけてきました。
到着の際に今夜のお客さんの数を尋ねたことを覚えていたのでしょうか。何にせよ、布団1枚使えて助かります。


ところで、今までで一番お客さんの多かった日って何人くらい入ったんですか?
218人」
ええっ? にひゃくじゅうはちにん!?
何でも、黒部峡谷鉄道が災害で不通になって入山ができなかった時期があり、待ちわびていた登山者が復旧後の週末だか休日だかにドバッと大挙して押し寄せたという話でした。
しかし、その日はいったいどんな恐ろしいことになっていたのやら…。


さて、今夜の宿泊は最高記録の3分の1ほど。
定員(部屋に入る人数)が50人、では残りはどうするかというと、食堂のテーブルをたたんでそこに布団を敷くのです。
スタッフが総出で片付けと布団敷きにかかり、さっきまでみんながカレーを食べていたスペースは、あっという間に寝室になりました。


というわけで、もう寝る用意は完璧なのですが、おかみさんによれば、まだ到着していないお客さんが2人いるといいます。
暗くなっても小屋に着かないという登山者が時々いて、人見平の関西電力宿舎から「今こっちにいるよ」と連絡があり、迎えに行くこともあるのだとか。
もちろんドタキャンの可能性もあるのですが「予約の電話があったのが2日前だから、来るとは思うけどね」と、ご主人。
結局この2人のお客さんが無事到着できたのかどうかは分かりませんが、まあ特に騒ぎになってはいなかったので、たぶん着いたんでしょう。


時刻は20時を回り、同室の皆さんはもうほとんどが休んでいます。
しかし、隣の部屋では会話が途切れる様子がありません。
大阪方面から来たツアーのお客さんたちらしいのですが、消灯時刻の21時までしゃべり続けるつもりなのかと、少々辟易しながら横になっていました。


やがて、こちらの部屋で寝ていたひとりの男性が、ついにブチ切れた様子で隣室に抗議を始めました。
「おいもう静かにしろよ! 何時だと思ってるんだ!」
すると、向こうからも「消灯は9時や!」と言い返してきます。
こちらの部屋の男性も負けておらず、言い合いになってしまいました。


「消灯は9時でも、マナーってもんがあるだろうが! みんな明日早いんだぞ!」
「そないな言い方があるかいな!」
「とにかく静かにしろよ!」
「お互いや!」
もう、頼むからいいかげんにしてくれよ…。


それでも、何とか双方とも静まり、みんな眠りにつくことができました。やれやれ。


就寝時間
就寝時間


翌日に続く。

下ノ廊下 1日目の3(温泉編)

さっそく宿泊受付を済ませます。
ご主人が出てきて「食事はどうする?」
朝食は何時からですか?
「6時」
なるほど、さっき志合谷の手前で会ったおじさんたちの言っていた通りだ。じゃあお弁当にしてください。
「うん、2食で朝食弁当ね」


ところで、このコース上にある山小屋は、この阿曽原温泉小屋ただ1軒。
必然的に宿泊者が集まることになります。
週末ともなれば大混雑で、1枚の布団に2人が寝ることも日常茶飯事だとか。
来る前からこのことが心配だったので、今夜は何人くらい泊まるのか聞いてみました。
「70人くらいかな」
あー、そんなもんですか。定員が50人だから大したことはなさそうだ。


阿曽原温泉小屋
阿曽原温泉小屋


部屋に案内されると、先に到着していた方が1人休んでいるところでした。
大阪から来たという初老の単独の方で、今朝黒部ダムを出てきて13時頃に到着したそうです。
すでに温泉にも入ってきた様子で「いい湯でしたよ」とのこと。
おっ、じゃあ私も早く入りたいですね〜。


その温泉、1時間ごとに男女交代で入る仕組みで、到着した時は女性の時間帯だったため、しばし小屋の前で待機します。
その間にも、黒部ダム方面からやってきたお客さんが続々と到着。
1人が「このへんってクマは出る?」と小屋のスタッフに聞いています。
「出ますね」と答えるスタッフに、ああ、やっぱりという顔のお客さん。


「ここまで来る途中にも獣の臭いがしたんだよね」
「ああ、それは多分サルですね」
「え、サルもいるんだ?」
黒部の森は何とも豊かな生態系のようです。


そうこうしているうちに男性の時間が近くなり、私と同じように待機していた他の男性陣が動き出しました。
小屋入口に並んでいるサンダル(クロックス)を見て、ひとりが「温泉までこれ履いていって大丈夫?」とスタッフに聞きます。
「行けないことはないですよ。元気な方なら…」と聞いた男性陣、ほとんどの人がサンダルをつっかけて出ていきました。
私は念のために自分の靴を履いて、先を行く皆さんを追いかけます。


温泉は、小屋の下のテント場にいったん出て、そこからさらに5〜10分ほど坂道を下っていったところ。
温泉から上がってくる女性客の皆さんと途中ですれ違いつつ下りていきます。


到着
到着


たどり着いた温泉は、浴槽が一つあるだけの簡素な作り。
脱衣所は浴槽脇のスノコで、あとは洗面器が5〜6個置いてあるだけです。
それでも、こんな山奥で温泉に入れるのだから贅沢なものです。しかも源泉掛け流し!
南アルプスじゃこうはいかないね」と、他の男性の1人。


黒部の山々を眺めながらのんびり浸かっていたら、最初は私を含めて5人ほどだったのが、後からだんだん他のお客さんがやってきて、20人くらいになりました。
さすがに狭くなってきたので、もうぼちぼちいいかな…と、30分ほどで上がることに。
服を着て、また小屋まで上がっていきますが、せっかく一風呂浴びた後なのにまた登らないといけないのはちょっと残念ですね。


小屋に戻り、特にすることもないので何となく食堂に来てみたところ、ご主人が出てきて何やらDVDのようなものをセットしています。
始まったのは、立山・黒部の四季を紹介したNHKの番組(を録画したもの)でした。
この小屋やご主人のことも紹介されています。
小屋が建っている場所は雪崩の巣窟のため、プレハブ造りのこの小屋は毎年冬になる前に解体し、翌年初夏にまた建て直すのですが、その様子も映っていました。
後で聞いたところでは、3年前に放送(撮影は4年前)されたものだそう。なかなか興味深かったです。